ハタチの自分に伝えたい「感覚」のはなし

今年に入り、できるだけ毎日ブログを更新しようと頑張っていますが、もう心折れそうです!というのはさておき、

先日、痒い所に手が届くような、ちょっとしたWEBサービスをブログの軸にできないかな?とアフィリンクオズボーンのチェックリストを公開しました。もともとアフィリンクは去年に作ったものだが、オズボーンは今年に入ってから作り始めた。

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構想では、もっとシンプルな作りに収まるはずだったのだけれど「文章の保存ができない」とか「スマホだったらメールで送信できたほうがいいな」のようなアイデアが出てきて、そこらの処理のプログラムを組んでいた。

プログラムを最初に書いたのは中学の時だから、もう随分経つ。この作業はクリエイティブではあるが、とてもロジカルだ。ずっと、この論理的な思考こそ、唯一正しいと思っていた。

しかし、20代の半ば頃から、どうやらそうではないらしいということに気付き始める。この記事はそんな話です。

絵画を見るのが怖かった

昔は美術館に行っても見方が分からなくて、絵画を純粋に楽しむことができなかった。脇に書いてある解説には難しい単語が並んでいて理解不能だったし(今も怪しいが)、一緒に行った人には、上手に感想を言いたいのだけど、技法や歴史を知らないから言えないし、なんだか美術館って、知識がない自分には行きづらい場所だった。

最初にそれを変えてくれたきっかけは、オークランド美術館の、この絵だった。

"In Time of Peril" Edmund Blair Leighton

ワーキングホリデーでオークランドにいた私は、時間はたっぷりあったし、入場料が無料(ここが重要)ということで、よくオークランド美術館に足を運んでいた。

何気なくこの絵を見た時に「いったいどんなシチュエーションの絵なんだ?」という疑問から、絵の中のあらゆる情報をもとに推測を始めた。私が初めて、ペインティング技法や絵画の歴史といった情報からではなく、絵そのものを楽しみ始めた瞬間だった。

しかし、この楽しみ方は、まだロジカルシンキングの延長線なのだ。

Don’t Think. Feel!

その後、いくつかのギャラリーにも足を運ぶようになり絵画を見る機会も増えていくのだが、自分的に「訳がわからない・・・」という絵が、すごく評価されていたりすると、分からない自分が嫌で、絵の見方というのを色々な人に聞いていた。

オディロン・ルドン 蝶

すると知人から「絵は感じるものだ」という意見を聞けた。「絵を見るのは、自分にあった絵をフィーリングで見つける行為」だと言うのだ。

必死になって絵の見方を理解しようとしていたけれど、難しく考えすぎて、結局のところ肝心の自分を見失っていたのだ。逆に自分を見つけるために、自分に合う絵を探せばいいんだ。

この考えに至ってからは気楽に絵と接せれるようになったし、自分が好きなアーティストはメジャーだから言い難い。なんて思うこともなくなった。

ブルース・リー「燃えよドラゴン」の「Don’t Think. Feel!」(考えるな、感じろ!)なわけです。

自分の感情に聞くという決断法

よく「男性は論理、女性は感情で動く」なんていいます。つい先日、知人の女性が「なにか決断する時は自分の感情に聞く」と教えてくれた。例えばこの女性がデートに誘われて嬉しいと思ったとする。ということは私はこの人が好きだ。という具合に、感情によって自分の本意を確かめるというのだ。なるほど、感情で動くとはこういうことかと思った。

男性なら、というと偏見があるかもしれないから、私なら、もし女性にデートに誘われたら、誰でも嬉しいかな・・・。いやいや、そうじゃなくて、私なら嬉しいと感じても、それだけではその人が好きな事には直結しないし、例え嫌だなと思っても、論理的にその感情をねじ伏せようとしたりする。つまり感情のプライオリティーが違う。

これが男女差なのだろうけど、一つ思ったのは、感覚というものは棋士の羽生さんがよく言っている大局観に通じるなと。大局観とは、感覚的に論理的思考の大体の結果を得るものだ。膨大な手を考えなければいけない棋士には、一つ一つをじっくり考える時間はない。論理的思考だけではだめなのだ。

今の私がハタチの自分に伝えたい事は、論理的思考は一つの道具であって絶対じゃないってこと。Don’t Think. Feel!

 

 

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