「生物と無生物のあいだ」というロングセラーの書評です。巷で絶賛されているので遅れながらも読んでみて、たまげました。何となくの知識を固めてくれたし、様々な疑問が氷解しました。福岡伸一氏という分子生物学者が著者なのですが、アカデミックな世界にいるとは思えない、非常に分かりやすく情緒ある文章。作家として十分に通用するレベルで、科学が苦手な人も騙されたと思って手にとってみて欲しいです。
分子生物学とは?
何となく小さな世界の生化学なのかな?というイメージで読み進めましたが、 せっかくの機会なので調べて見ました。 まず、生物を科学する学問は生物学です。 その中の一分野として、生物を化学的に検証する学問が生化学です。 ちなみに中学などでも教科書が分かれていた「化学」は、科学の中の科目の一つで、 物質が化学反応によって化(ば)ける現象を扱います。 生化学と分子生物学はお互いに近い分野のようで、双方で扱う領域が重複する場合もあるようですが、 基本的に生化学は「代謝」を扱い、分子生物学は「遺伝」に関する研究を行うようです。
という感じですが、本書のターゲットは専門家ではないので、生化学だと思って読んでも問題ありません。
ウィルスって?
私は本書を読むまで、ウィルスってのは「細菌のようなもの」くらいの知識でした。 それが生物なのか?と特に考えたこともなかったのです。 もし質問でもされていたら、しばらく考えて「生物じゃない?」と答えたでしょう。
さて、著者が在籍していたニューヨークの研究所、ロックフェラー大学の歴史から始まる本書。 知る人ぞ知る研究所のようで、あの野口英世はここを拠点として研究していました。 野口英世はお札にもなっているので知名度は抜群ですが、 野口英雄が研究していた20世紀初頭には、ウィルスはまだ発見されていませんでした。
なぜか? それは顕微鏡では捉えられないほど小さかったからです。
20世紀初頭の科学では、
病気が広まる→ どうやら人伝いに感染するようだ→ 何かを媒介としているはずだ→ でも目には見えないから小さな何かなのだろう→ 顕微鏡で体液を見てみる→ スコープの中には見慣れぬ物体が!→ 病原体ハケーン
という過程で、不治の病とされていた結核やコレラ、ペストなどの原因を発見していた時代です。野口英雄は狂犬病や小児麻痺の病原体も発見したと発表しますが、 後に、これらの病原体はウィルスだと判明します。
電子顕微鏡の登場によりウィルスは人類の前に姿を表します。 最初にウィルスの姿を見ることになった科学者は、 きっと細菌の小型版のような有機的な姿を想像していたはずです。 しかしウィルスはまるで異質な形をしていたのです!
さらにファージというウィルスには、ロボットのような奴もいます。
ウィルスは鉱物のような無機物だったのです。ただ遺伝情報であるDNAを持っており、細胞を乗っ取って子孫を残します。ウィルスは生物なのか無生物なのか。これだけでも一冊の本になりそうですが、本書ではほんの触りです。
人の手と神の手
著者の実験グループは、あるタンパク質(GP2)がマウスのすい臓にとって非常に重要な機能を持つことを突き止める。 もしこのGP2がなければ、すい臓に重度な異常がでるはずです。 そこで検証のために、GP2を作ることが出来ないマウスを作り出します。
現代では、そんな神のような事ができてしまう。という事にまず驚きます。 GP2の情報はDNAに記録されているので、DNAからその部分のみを切り取ります。これでGP2が作り出される事はありえません。なにしろ設計図がないのですから。受精したマウスに欠陥DNAを組み込み、マウスは一見無事に成長しました。しかし、すい臓では異常が発生しているはずです。
はやる気持ちで すい臓を調べてみると、なんと何も異常がないのです!
生命はGP2がなくても正常に機能するように自動で再設計されたのです!
一部分が壊れてしまっても全体は機能を維持できるように設計されていることを冗長性が高いと言います。 例えば車の場合はスペアタイアを積むことで冗長性が高まります。
しかし、このGP2は、ガソリンをエンジンに送るチューブのような重要な部品。 出荷前にチューブを完全に外したのに、なぜか出荷先でエンジンがかかるレベルです。 生物は冗長性などという次元では測れない驚愕のシステムなのです。
生命とは
電化製品のような機械の場合、必要な部品を組み立てて電気を流せば動きます。 しかし生物の場合は、必要なすべての部品(内臓やら血やら)を集めて組み立てても、そこに命は宿りません。 フランケンシュタインのように電気ショックを与えても、残念ながら動きません。
では機械と生物は何が違うのか。先ほどのGP2の実験も踏まえると、単純な部品の有無ではなさそうです。 ここに「時間」という概念が関わってきます。
機械は電気を流している間のみ動作します。 動いていない時は部品をバラバラにして修理をする事もできます。 自由にオンとオフができるのです。
しかし生命は、時間と共に徐々に秩序を保ちながら成長して死んでいきます。 それは途中でオフになることなく動き続けることで秩序を保ちます。先ほどのGP2が最初から存在しないのであれば、存在しない状態で周りとの秩序を構築していくので、結果的に全体のシステムは問題なく動作するのです。
このような秩序維持のシステムを著者は動的平衡と名付け、生命の定義とします。
諸行無常の響きあり
このように、生命は動き続けることで秩序を保ちます。しかし秩序というのは常に崩壊へと向かいますから、生命はどうにかして秩序を維持する必要があります。そのために生命はケガなどをしていなくても常に体の分子の代謝を行なっています。人間の場合は半年程ですべてが総入れ替えする程に激しいそうです。
今の自分を構成している肉や骨や歯などの分子は、半年後にはすべて入れ替わっているのです。こうなると生命とは分子の「流れ」そのものであり、まるで分子の器であるという捉え方もできます。これはまさに仏教でいう「諸行無常」です。本書は科学的な視点から諸行無常という言葉の意味を教えてくれます。