今村昌平監督の1983年公開の映画。本ブログでは他にうなぎと復讐するは我にありをポストしてます。テーマは口減らしの為に70を迎える老人を子が山に捨てる姨捨(おばすて)。
詳しい場所や年代は明らかにされないが、雪深い山中の村が舞台で銃狩りの描写から近年だと分かる。想像通りの重い内容で笑えるシーンは少ないが、考えさせられる。
まだまだ元気なばーちゃん
人により70でボケはじめる人もいるが、この映画で捨てられる老婆はしっかりしてる。今だ家族全員の司令塔で的確な指示を出しシャキシャキしてる。
まだしっかりしてるから・・・と家族は反対するが、1つの不満もなく自ら進んで姥捨てというシキタリに従う。残されている時間で家族が抱えている問題を出来るだけ解決し、知恵を引き継ぐのに時間を使う。
いくつになっても死ぬのは怖い
ラストの姥捨の現場には先祖の白骨死体が散乱している。いよいよ息子と別れるとき、息子は決心が固まらずにグズるが、そんな息子にしっかりせえと平手打ちをかます。いよいよ我が身となった姥捨。死を目前にして自分が一番恐ろしいハズだが、立派にシキタリに従う生き様を見ておけと言っているようだ。
同じ村にもう一人捨てられる爺さんがいるが、こちらは対照的に描かれる。ボケ始めてる感じもするし、のわりに間際に命乞いをする。最後は面倒になった息子に崖から落とされる。
前向きに死に向かう
この時代、死は今よりもずっと身近で、赤ん坊が田んぼに捨てられている描写や、盗みを働いた一家を集団で襲って穴に埋めるシーンがある。皆が生きていくために厳しい秩序が必要だったのだ。
老婆の死に様を考えてたら「ミリオンダラー・ベイビー」の尊厳死を思い出した。「武士道とは死ぬこととみつけたり」のように、そこに理由があるのなら、前向きに死に向かうのは気高い気がする。