ニーチェの馬

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ハンガリーの映画監督タル・ベーラの2011年の作品。白黒でかつ起伏のないストーリー。映像に力はあるが2時間34分という長さはダレた。

19世紀末の過酷な労働に耐える親子の様子を、救いのない雰囲気で淡々と描くのだが、ただでさえ映画の為に2時間を捻出するのが難しい現代において、編集すれば10分で語れるような内容なのにと考えてしまった。しかし、そこにこの作品の意味が見え隠れする。

 

ニーチェの馬とは

タイトルにもなっているドイツの哲学者ニーチェは、45歳の時に精神が崩壊する。
正気の糸が切れた日時も記録に残っており、1889年1月3日にニーチェが道を歩いていると、言うことを聞かない馬を、その主人が猛烈に怒りながら鞭打っていた。ニーチェがそこへ駆け寄り、馬を守ろうとその首を抱きしめながら泣き崩れたのがキッカケだったという。

映画の冒頭でこの話のナレーションが入るが、作品内に登場する馬も、同じように過酷な状況におかれており、労働を拒絶する。

作品内に登場する親子は日々過酷な労働に耐え、喜びのない毎日を繰り返す。食事は毎食じゃがいも1つ。会話もなく笑いもない。

そんなルーティンを2時間34分かけてじっくり見るという映像体験は、娯楽で溢れた現代に比べずっと退屈だった19世紀末の、生きること=苦しみでしかなかった時代に、ニーチェがなぜ精神崩壊したのか、というのを感覚的に受け取れる。

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片手で皮付きの茹でた芋をぐわと掴んで食べる。

 

僅かに存在するストーリー

作品内にも一応ストーリーラインは存在しており、彼らの世界には不思議な異変が起きていて、異常気象に加え、街が消えたと隣人が教えてくれたり、井戸の水が枯れてしまったり、なぜか火をおこせなくなったりと異常現象に見舞われていく。そこにはまったく希望がなく、悲惨な日常に輪をかける。

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酒を分けてくれと訪れた隣人は突拍子なく哲学的な話を始める。

井戸が枯れ飲水はなくなり、火をおこせないので芋も茹でられなくなる。世界は終わるようだ。しかしそれこそ一つの救いとも言える。

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未来がないと分かっていながら生の芋を食べようとする。

 

意味を求めすぎた結果

私は、せっかく時間を作って映画を見るのだからと、どうしてもそこに意味を求めようとする。それは娯楽だったり刺激だったりするが、本当は映画はもっと自由で良いし、本作のような映画が存在してくれるからこそ、映画が好きなのかもしれない。

とはいうものの、本作を繰り返し見たいという欲求は今のところない。

OUTSIDE IN TOKYO / タル・ベーラ『ニーチェの馬』インタヴュー

 

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