1984年の英国映画。カンボジアのポルポト政権時の狂気を背景に、国の異なる2人の新聞記者の友情を描くノンフィクション。なかなか見る機会がなかったが、主人公のジャーナリスト魂が想像できないと2人の絆の深さもまた想像できないので、丁度良い時期に見ることが出来た。
恥ずかしながら私のポルポト政権についての知識は浅く、カンボジアで大量虐殺した政権くらいの認識でした。鑑賞後に当時のカンボジアについて調べてみると、ベトナム戦争やアメリカとの絡み、クメール・ルージュ=カンボジア共産党の偏った思想などは、作品内で当然のように描写されていたので、先に調べておけばと後悔しました。公開当時は常識的知識だったのでしょう。
ジャーナリストの絆
本作の主人公は、カンボジア内戦を取材しているニューヨーク・タイムズのアメリカ人シドニー。 危険なカンボジアに飛び込んでまで真実を届けようとする熱い男。アメリカ軍がマスコミをプロパガンダで利用しようと記者に優遇する中、そんな甘い誘惑には乗らず単身で事実を掴もうとする。
そんな彼を現地でサポートするもう一人の主人公がカンボジア人のプラン。彼も同じく新聞記者でシドニーとは馬が合う。政権が危うい中、家族だけを逃し、自分は新聞記者だからと最後までシドニーのサポートを決意する。
シドニーは外国人なのでいざとなっても逃げられるがプランは違う。危険度はシドニーの比ではない。それを知っていながら彼を利用するシドニーは、後に良心の呵責に苦しむ。
搾取する側される側
いよいよ政権が覆り、外国人ジャーナリストはフランス領事館で守られるがプランは違う。 ジャーナリスト仲間が彼のためにパスポートを偽造するが失敗に終わり、彼はクメール・ルージュに捕まる。 恐らく生きて帰れないだろう。
シドニーは帰国後にピューリッツァー賞を受賞。 華やかな授賞式ではあるが、利益の為に政治的にカンボジアを利用するアメリカ、その為に死んでいくカンボジア人という構図を取材しているのに、授賞式は結局のところ平和ボケの上で成り立っているようで、シドニーの訴えたいことは空転しているようだ。
シドニーの栄光とは対照的に、プランはクメール・ルージュによる集団農場で地獄を生きる。知識人は殺されてしまうので無知を装いつつ最終的には脱出に成功する。
今まで想像したこともなかったが無知を装うのって難しい。知性は表情や行動に現れる。
賛否
脱出したプランとシドニーはラストで再開してエンディングとなる。
私は単純に感動しましたが、wikiによると公開当時には賛否があったようで、本多勝一氏は「無知な人々だけが感激する『キリング=フィールド』」という記事を発表していたようで、ちょっと読みたくなってググってみると、ありました。
「無知な人々だけが感激する『キリング=フィールド』」
クメール・ルージュが知識人を煙たがったのが頭をよぎりました。