この警告文を読もうとするおまえに警告。
この文章を一語読むたびにお前は人生を一秒ずつ無駄にしている。
他にやることはないのか?
お前の人生はそんなにも空っぽなのか?
ろくな使い道も思いつけないほどに?
尊敬と信頼を命じる権力に従ってしまうほどに?
あんたは読まなきゃいけないものを全て読んじまうつもりなのか?
考えなきゃならないこと全てを考えるつもりなのか?
欲しがるべきだと教えられたもの全てを買っちまうつもりなのか?
外に出ろ、セックスの相手を見つけろ、過剰消費とマスターベーションをやめろ。
仕事をやめて喧嘩をおっぱじめろ、生きているということを証明してみせろ。
自らの人間性を証明できない存在は、統計上の数字にしか過ぎない。
俺はお前に警告したぞ。映画「ファイト・クラブ」 タイラー
レジの女性の配慮
注文をして、レジの女性に「いくらだ」とポケットから取り出したのは、くしゃくしゃのティッシュペーパー。
介護士は一瞬、青ざめました。他人から間違いを指摘されると、認知症の人は逆上して不安定になることがよくあるからです。
でも、レジの若い女性は落ち着いて、笑顔でこう答えました。
「申し訳ありません。当店においては現在、こちらのお札はご利用できなくなっております」
おじいさんは「そうか、ここでは、この金は使えんのか」と、あらためてポケットの小銭を取り出しました。
介護士はすっかり、この店のファンになったそうです。つなごう医療 中日メディカルサイト | 青く、老いたい
いい物を注意深く感じ取る
通勤の途中、通りがかりの家に薔薇が咲いていることにも気がつかず、立ち止まって香りを嗅ぐ余裕もない生き方は、一所懸命頑張っても何の色も匂いもない世界にしかたどり着くことが出来ません。そんな人生を目標にしている人は誰もいないハズです。五感を鍛えるというと、何か難しいことのように聞こえますが「いい物を注意深く感じ取ること」をいつも心掛けていれば、あなたの感覚、すなわちセンスは必ず磨かれてゆきます。
「美人塾」(小林 悟 著/メディアファクトリー)
当然の仕事
私はマツダを優勝させるために契約したのだから、優勝したからといってボーナスを貰う理由は無い。
振り返らないこと
しかしこの歳になると、若いときはわからなかったことがよくわかる。すなわち結婚と就職は縁がすべてである。事故のようなものだ。論理的計画的にことを運べるものではない。チャンスが巡ってきたら、気合を入れて決断するしかない。いったん道を選んだら、振り返らずベストをつくること。間違った選択などない。選んだ道は正しい。そう信じてしばらくわき目もふらずにやっているうちに、力がついて、また次のチャンスがまわってくる。
一人暮らし手帳
電源を入れたままの修理
あるパソコンショップに、自信たっぷりな作業員がいた。そこに、有名な心臓外科医がパソコンを持って修理を依頼しにやってきた。
さっそく点検を始めると、作業員はこう切り出した。「先生、最近ふと思ったのですが、パソコン修理って心臓の手術に似ていませんか?非常に神経を使う細かい作業ですし、パソコンの心臓ともいえるCPUを直して、新しいパーツを入れたりする。 作業が終わると、患者さんが元気になるのと同じように、パソコンは新品同然になります。 それなのに、どうして先生と私の給料はこうも違うんでしょうかね」
外科医は、こう答えた。
「私はそれを、電源を入れたままでやっているからですよ」
人間にとって精神のアキレス腱
わたしが精神科医として沢山の人たちと接しているうちに気づいたことがあって、それは人間にとって精神のアキレス腱は所謂「こだわり・プライド・被害者意識」の三つに過ぎないというまことにシンプルな事実である
春日武彦「不幸になりたがる人たち―自虐指向と破滅願望」文春新書 P67
善意の衣にくるんだマウンティング
相談に乗ってあげるよ、と言いながら恩を着せたり、心配してるのよ、と言いながらお説教をする人はいます。そういう、誰かを自分の配下に置くチャンスを逃さない嗅覚を持っている人があなたのまわりにもいますよね?
彼らは、実に見事な善意の衣にくるんでマウンティングを仕掛けてきます。いわゆる世渡り上手の芽摘み上手、長く仕事をしていく上では大切な能力ですね。
私はその真意がわかると、その場で誠心誠意お礼を言って、すぐに着せられた恩を脱いで帰ることにしています。恩と借りは違うものですから。
弱っていると貸しを作ってやろうと寄ってくる人たちは、何らかのレバレッジを期待してくれているだけ有難いとも思いますが、私はそういう人たちに借りがあると負い目に感じることはありません。彼らにしてみれば、恩知らずですね。
本当に励ましてくれる人たちは、そんな人たちの何倍もたくさん、たくさんいました。彼らは、黙っているのです。でもふとエレベーターで二人になった時、廊下ですれ違って目があった時、ツイッターの顔文字で、メールの世間話で、そしてただ、以前と変わらずなんとなくそばにいてくれるというだけで、励ましてくれているのだということがよくわかりました。
あなたは変わってしまった!と言わない人はつまり、関心がないか、変わっていないと思っているか、変わるのなんか当たり前だと思っている人たち。彼らは、いろんな沈黙の形で、「いいんじゃない?」っていう気楽な励ましを与えてくれるんだなあ、と体感したのです。それはとても有難かった。生きているのって、知らないひとたちの中で知り合ったつもりになって生きて行くのって、悪くないなあと思いました。
小島慶子「トークイン・クローゼット」 – BLOGOS メルマガ
ひとりぼっちでも平気かどうか
あなたが何で生計を立てていようと、わたしには興味はない。知りたいのはむしろ、あなたが何で胸を痛めているか、そしてあこがれとの出会いを夢見る勇気を持っているかどうかだ。
あなたが何歳だろうと、わたしには興味はない。知りたいのはむしろ、あなたが愚か者に見えるのも覚悟のうえで あえて愛を、夢を、生きるという冒険をもとめるかどうかだ。
あなたの星座が何座だろうと、わたしには興味はない。知りたいのはむしろ、あなたがあなた自身の悲しみの中心に触れたかどうか、そして人生の裏切りによって心を開かれたのか それとも縮あがり、さらなる苦痛を恐れて心を閉ざしてしまったのかだ。
わたしの苦痛だろうと、あなたの苦痛だろうとかまわない。あなたが苦痛に耐えられるかどうか、そして苦痛を隠したり、薄めたり、とりつくろったりするためにじたばたせずにいられるのかどうか知りたい。
わたしの喜びだろうと、あなたの喜びだろうとかまわない。あなたが喜びとともにいられるかどうか知りたい。あなたが野生とともに踊り、手足の先まで歓喜に満ちて、わたしたちに用心せよとか、現実的になれとか、人間の限界を思い出せ などと警告せずにいられるかどうか知りたい。
あなたの話していることがほんとかどうか、わたしには興味はない。知りたいのはむしろ、あなたが他人を落胆させることを恐れずに、自分に正直になれるのかどうか、そして裏切ったと非難されても耐え、 自分自身の魂を裏切らずにいられるかどうかだ。
あなたが誠実で、それゆえに信頼できる人間なのかどうか知りたい。きれいでない日常的なもののなかに美を見いだすことができるのかどうか、そして自分の生の源は神の存在にあると言えるのかどうか知りたい。あなたが失敗に耐え、湖の縁に立って銀色の月の呼びかけに答えることができるのかどうか知りたい。
あなたがどこに住んでいようと、どのくらい金を持っていようと、わたしには興味はない。
知りたいのはむしろ、悲嘆と絶望の夜のあと、疲れ果て、骨の髄まで打ちのめされて、それでも起きあがり、子供たちのためにせねばならぬことをなしうるかどうかだ。
あなたが何者なのか、どうやってここに来たのか、わたしには興味はない。知りたいのはむしろ、わたしといっしょに炎の中心に立ち、しりごみしないかどうかだ。
どこで、誰といっしょに、何をあなたが学んだか、わたしには興味はない。知りたいのはむしろ、ほかのすべてが崩壊したとき、何があなたを内から支えるかだ。
ひとりぼっちでも平気かどうか、そして孤独なときの自分をほんとうに好きかどうか知りたい。