私は高卒後、汎用機と呼ばれるスーパーコンピューターの操作員をした後、ペンキ屋さんに転職しました。
もう10年以上も前の話なのですが、あの時に勉強した事は今でも役に立っています。
今日は10年たっても覚えている現場からのライフハックをお伝えします。
やりにくい場所からやる
最も役に立っている教えです。
ペンキを塗る時、何も考えずに塗り始めると普通は一番塗りやすい所から塗ります。おそらく目の前にある一番面積の大きい所でしょう。私も最初、類に漏れず「わーい!」と、塗りやすい所から始めました。
最初はそれでもいいのですが、当然、最後には塗りにくい場所が残されます。しかも塗りやすい所を塗った後なので、塗りにくさが増しています。
これはペンキ塗りに限らず、家具の組立や食器洗いなど、あらゆる作業を進める上で言えることです。
物を動かすのではなく自分が動く
ペンキ塗りを頭でイメージすると、皆さんは何を塗っていますか?
家の外壁でしょうか?それとも公園のベンチでしょうか?
どこかに設置され動かせない物を塗っているイメージが一般的かなと思います。しかし小さな椅子や小物など、自由に動かせる物を塗るときもあります。
このような時、体を動かすのは面倒なので、自分はどこかに腰を下ろし対象を動かして塗ろうとします。最初はこれでもいいのですが、後半になると、片手しか使えないし持っている手が邪魔で塗り順が狂うため、思ったように進まない事に気付きます。
これは、最初に腰を下ろして作業を始めるという目先の楽を選択したツケです。
一番大変な作業はケレン
ケレンという言葉をご存知でしょうか?私はペンキ屋になって初めて知りました。下っ端の登竜門で最も嫌な作業でした。
ペンキ屋はペンキを塗るまでに2つの工程を踏みます。最初はケレン、次にサビ止め、最後に上塗りのペンキです。
このケレンという作業は、塗る場所にわざと傷をつけサビ止めのノリを良くします。塗り替えする前の状態はホコリだらけ錆だらけというのが当たり前なので、全身がホコリまみれになります。
一見楽しそうに見えるペンキ塗りも、そこに至るまでは大変なのでした。
細い隙間はどうするの?
家の塗り替えで、外壁と隣りの家が人が入れそうもない程の隙間しかない。というのを見たことはないでしょうか?
さすがに人が入れないと塗れません。私は、そういう場所は塗らないで放置するのかな?と思っていました。
しかし実際は何とかして塗ります。人が入れないと思われる隙間に無理矢理入って行ったり、棒にハケをくくりつけたり、その都度、何とかするのです。
塗らないで放置する。この考えではプロとは言えないのでした。
家が出来るまで
ペンキ屋は家を作る途中の1つの職業です。ペンキ屋になるまでは「家は大工さんが作るもの」くらいの知識しかなかったのですが、その世界に入ってみて専門職の多さに驚きました。
基礎屋さん、大工さん、防水屋さん、水道屋さん、建具屋さん、断熱屋さん、サイディング屋さん、瓦屋さん、板金屋さん、電気屋さん、左官屋さん、塗装屋さん、タイル屋さん、クロス屋さん、解体屋さん。
だいたいは既に横の繋がりがあって、いつもの顔ぶれという感じになります。親方はゴルフで大忙しです。
どの業種から仕事が入るかは分かりません。地域の工務店が近所の家をチェックして「奥さん、あそこ直したほうがいいですよ」というような営業を入れ、そこから仕事の流れが始まったりしています。
適度に仕事が入る不思議
そんなわけで親方の携帯にはいろいろと仕事の依頼が入ってきます。「ありがたいことに、仕事が途切れることはないんだわ」とよく親方が言っていました。
時々、天気の都合で仕事がないことはありましたが、たしかにタイミング良く仕事が入っているようでした。
私は、その原理が不思議でした。特に営業をしないのなら仕事が発生するのは偶発的になるはずで、今月はずっと暇、来月はいつもの3倍の仕事量。のようなバラツキがあって当然だと思ったのです。なぜ特にコントロールすることなく、適度な仕事量というバランスになっているのかな?と。
今になって思うと、私の目には特にコントロールしていないように見えただけで、親方の心中は、きっと常に適度な仕事量を求めていたし、仕事を回してくれる側も「いまはあの件で忙しいな」などの配慮があり、その思考が知らず知らず現実化していたおかげなんだろうな。と思います。
どうすれば喜ばれるか?
親方と色々と現場を回っていましたが、作業を進めるに当たり、親方は「どうすれば喜ばれるか?」とよく独り言を言っていました。同じ自営業となった今、この言葉の意味が少しづつ分かるようになりました。
ほかの親方名言集として「考えてから動け!考えるな動け!」があるのですが、当時はこの矛盾が腹ただしかったのですが、今は笑えます。
いかがでしたでしょうか。私がお世話になっていたペンキ屋は、いわゆる個人商店の街のペンキ屋さんでした。大手ゼネコンや職人を何十人も抱えている塗装屋ではなく、多くても3人ほどの職人さんで回していました。そのおかげで親方から直接怒られる機会も多く、良い経験になったと思っています。