震災から1年

あの震災から1年。名古屋に住んでいると被災地と同じ国とは思えないほどに、いまの日常に大きな影響はない。家や家族をなくした方の気持ちを想像すると、言葉では表せない感情を感じる。

最初、今日は震災についての個人的な思いはブログには書かないでおこうと思った。

以前、被災地の知人と話をした際に、冗談で「同情するなら金をくれ(家なき子)」と言われ、その場は笑ったが、正直冗談にならないなと思った。本当にその通りだからだ。

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「いいよ、使ってくれ」って、自分の貯金を崩せるほどは同情していないのに、今日震災についてのお悔やみを語ったら、自身の社会的な体裁のために震災を利用する気がしたからだ。

被災地に対して、何を寄付したか、いくら寄付したか。それらをアピールする人がいる。

感情で言えば、寄付した事すら表に出さない方が美徳ある行動だと思う。寄付という行為は、金額の問題ではなく気持ちの問題だからだ。子供がお小遣いから出した100円に大きな価値がある。

しかし現実的には、1万円の寄付よりも1億円の寄付がありがたい。もし自分が1億円を寄付できるのなら、きっとそれを公にしたいと思う気持ちは、とても大きいのだろう。

今日は仙台の知人と震災について話すことができた。そのお陰で、この記事を書くことに決めた。話せてよかった。

 

 

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