私は如何にしてルールを守るのを止めて自分勝手になったか

30代も半ばに入り、自分しか見えなかった20代とは考え方も変わってきている。

一言で表せばおっさん化と言えるのかもしれないが、少しづつ社会のシステムも分かってきて、自分の立ち位置も見えてきた。

この記事は、そんな変化についての雑感です。

難しい考えだから正しいと思いがち

日本人は仮想世界のネトゲでも並ぶ

先日、知人と話をしていて、311震災後のコンビニで日本人は律儀に並んでいるという話題になった。これは当時、海外でも話題になりCNNの記事にもなっている。

さらに駅や公衆電話でも並ぶ人たち →NAVERまとめ

この素晴らしく秩序ある行動は、他者を尊重する気持ちの現れだし、周りとの協調を第一とする日本人らしく、自分の欲よりも社会モラルを優先している。

一方で貧困差が激しい国では、並ばないのは当然、略奪行為に走る輩が現れ暴動化する。

もし、その暴徒に日本の秩序を見せたら、きっと「盗まないほうがおかしい」と言うだろう。これは一理あって、確かに火事場泥棒になったほうが得をする。しかし社会の一員として秩序の大切さに気付いた者は、秩序を守る側に立つ責任が発生するのだ。

というような話をした。

物事は放っておいても無秩序に向かう。部屋の中は時間が経てば散らかるし、機械や料理など形あるものは、作り終えた瞬間から後は壊れる一方。掃除や修理をして秩序を保つ必要がある。

秩序を保つのは大変なのだ。

と、社会や秩序なんて難しい事を考えていたら、知らず知らず頭が硬くなっていた。

答えは小学校にあった

去年の夏、私の両親と共に、姪の鮎つかみに同行した際、生簀の近くに「親御さんは手を出さないで」と張り紙があった。親が手を出してしまうと生簀が混乱するし、親同士の鮎の取り合いにも発展するからだろう。

魚つかみがスタートすると、鮎は思った以上にすばしっこく、姪にはとても捕まえられそうにない。そこで私の父は見かねて手を出した。

私はそれを見て「秩序を守らなきゃ」と思った。手を出さないでって書いてあるよ!と。

しかし可愛い孫が一匹も鮎を取れなかったら可哀想だ。手を出さないわけにはいかない。

帰ってからも、この出来事についてしばらく考えた。机上では秩序を重んじるべきだと納得していたのに、いざとなったら「可哀想だから手を出してもいい」ときてるからだ。

しばらく、この矛盾を考えていたのだけど、なーんだ。これは、小学校に貼ってある「廊下は走るな」と同じだと気付いた。

厳守できないと知りつつ、抑制効果を狙っているのだ。

もし鮎が簡単に捕まえられるのであれば、当然、親は手を出さない。捕まえられない時は、そっと手を貸してあげる。この張り紙は、この そっと という部分を一言で要求しており、貼ってあることで機能するのだ。

ルールを守ることは大事。でも頭でっかちにはなりたくない。次は私もそっと手を貸してあげようと思う。

 

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